涌谷城跡

2013年8月2日 梅雨の晴れ間、銀翼の運動不足解消のため、県北をぶらり。

仙台から利府バイパス・県道40号線・道の駅「おおさと」を経由して、佐沼街道(国道346号線)を北上。
涌谷町でお城発見。
と言うことでちょっと寄り道。

坂を上って駐車場に入ると「涌谷神社」の石碑と案内板が。

敷地の左側に階段が有り、その先が社殿になっていました。

右側は散策道になっており、天守閣が見えます。

<涌谷城跡>
天正19年(1591年)、亘理城から亘理重宗が入城し、以降涌谷伊達氏の居城となりました。もとは南北朝時代、奥州探題として下向してきた大崎氏の配下、涌谷氏の居城でしたが、大崎氏が豊臣秀吉の小田原参陣を拒否したため滅ぼされ、一時は豊臣家の家臣、木村氏の居城となりましたが、大崎・葛西氏による一揆が発生し、その鎮圧後は伊達領となり、亘理氏が治めることになりました。
涌谷城が近世城郭として整ったのは二代城主重守の時代で、三代定宗の時代になって完成しました。この頃、亘理氏は伊達姓を名乗るのを許され、明治維新まで亘理伊達氏が続きました。涌谷城も明治維新まで存続していましたが、新政府によって涌谷県庁が建てられ、石垣と隅櫓を残し取壊されてしまいました。
ここは、天守閣を模した涌谷町立史料館でした。涌谷伊達氏の寛文資料や長根貝塚・追戸横穴古墳群からの出土品などが展示されています。

資料館の隣は、隅櫓(太鼓堂)です。
天保4年(1833)の再建といわれ、屋根には伊達一門の象徴の鯱(しゃちほこ)があげられています。石垣とともに藩政時代を偲ばせる貴重な遺構です。(町指定文化財)

現在、涌谷城跡は城山公園と呼ばれ、桜の木々が植えられ桜の名所として知られています。
ここからは涌谷町が一望できます。

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